ただ一人のメサイア
新年早々、人様のブログに持論をぶっこんでしまいました。
すいません、すいません(◎_◎;)← 海より深く反省しなさい!
まぁ、ここで謝ってもなんなんですが。
ついやってしまうので、気を付けていかないといけません。
で、何を書いてしまったかということなんですが。
メサイアの意味について・・・・なんですけどね。
以前も書いたことがあるような気がするんですが、小説、漆黒、銅の章の順番に見たんですよ。
この作品は見る順番によって世界観が変わる気がします。
読んだ方はわかると思いますが、小説版には司馬柊介という人がほぼほぼ出てきません。
たった一行だったかな?
(鋭利にお届け物をするお使いをしてました。)
だから、浜尾さんが柊介を演じている姿がプロトタイプとして入ってきた感じ。
まっさらな柊介さんの姿です。
チャーチの方針は「人としての己を捨てて、任務を遂行する駒となれ」ってことだと思うんです。建前上。*1
でも、サクラって人でないとできないとも思います。
成し遂げたいことや、守りたいもののために自分の命すら差し出すことの強さと脆さ。
そのあたり、晴海ちゃんはよくわかっているのだろうと。
実際現場にいた人ですから、駒の気持ちもわかる。そして本当は誰も死なせたくないんだろうと。
メサイアは、サクラが人であるために機能する最後の砦。
極限の中で核になる大事なものではないかなぁ。
もうすぐ白銀ノ章の幕が開きます。
毎日お稽古の様子を浜尾さんが伝えてくれますが、壁にもぶつかっている様子。
どんな柊介を生きてくれるのか。
楽しみであり、ちょっと複雑(^^;)
ではまた。
*1:サクラって・・・・捨て駒友の会の人か…